TMtown TOPへ  自称日本一の更新頻度「東京ユビキタス放浪記」



No.162

こんにちは リローデッド
2003.11.4
by Y.Tomizawa

皆さん、テレビ朝日のIQテストやりました?
私もやりましたが、もうアタマがヘトヘト…。
特にパズル系が、全く駄目ということが、よく分かりました。<(_ _)>
でも、子供の点数を上回って、とりあえずは一安心…。

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さて、先週の日経夕刊、作家の常盤新平さんのコラムは、お読みになりましたでしょうか…。

普通は夕刊なんて、読まないですよね…、しかも日経だし。
でも、意外と面白いんですよ日経夕刊。
スポーツ情報やコラムも、意外や意外、結構充実していますしね。

その日経夕刊の1面下に、日替わりのコラムがあります。
少し前は、俳優の寺田農さんの文章が、かなり面白かった。
財界人は、文章に「立体感」が感じられなくてつまらない。
最近は、いつの間にか、著者陣が代わっていて、前記の常盤新平さんや、作曲家の小椋桂さんなどが担当しています。

その常盤新平さんのコラムで、例の「こんにちは問題」が取り上げられていました(マーケティング的コラムNo.136ご参照)。

論旨は、だいたい私のいつぞやのネタと一緒。
「意外とおいしいと評判のソバ屋で飲んでいた」
「なのに、客が入ってくる度に、『いらっしゃいませ、こんにちは』とけたたましい」
「何とかならないものかと店員にクレームをつけた」
「この話を身近な人にしたら、『気にするな』と言われた」
だいたいこんな感じでした。

数ヶ月前の日経MJのコラム(確か日経エンタテイメント編集長のコラムか…?)でも、同じ内容で取り上げられていました。
やっぱり、根深い問題なんだなと、思った次第です。

ここで改めて、店員が客に対して、「こんにちは」ということの是非を取り上げることはしません。
おそらく、私や常盤新平氏の言う意味が、分からない人は、どこまで言っても分からないでしょう。
ただ、ふと思ったんですね…、「オレは常盤新平と同じ発想かよ…」と。

常盤新平という名前は、何となく知っていました。
元々小説など読まない私ですが、著名な作家の名前くらいは知っています。
でも、「常盤新平って、若くはないよな」と思って以来、常盤新平さんの年齢が気になりました。

だって、まもなく40歳になるオジサン(=私)が、ジイサン(=常盤氏)みたいな人と同じ発想なんて、ちょっと哀しいでしょ。
50歳代ということはないだろうなぁ〜と思って、調べてみたら、何とまあ、うちの親父と同い年でした。

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これ、偶然ですかね。
私は、案外偶然ではないと思っています。

子供は、親の影響を受けて、成長する。
これは、どんな動物でも同じでしょう。
どんなに、親のことが嫌いでも、どんなに遠く離れて生活していても、少なからず影響を受けるものです。

うちの親父は、昭和6年生まれ。
ちなみに、オフクロは、昭和10年生まれです。
ともに戦中派です。
だから、子供の頃、「疎開」とか「空襲」という話を聞いて育っている。

ついでに言えば、ジイサン、バアサンからも聞いていますからね。
何かあれば、「昔はこうだった」ってそんなのばっかり。
子供心には、鬱陶しいばかりの話でしたけど、いつの間にか、戦時中の話に影響を受けているのでしょう。
身体に染みついてしまっていると思います。
「もったいない」とか「礼儀作法」とか。

これは何も、私だけの話ではなくて、私と同じ世代の人は、大半がそんな感じなのではないでしょうか。
戦中派の親、明治・大正生まれの祖父母の影響を受けて、育ってきた。

いや、もっと考えれば、ずーっと昔から、人間はそうやって、親や、そのまた親から、少なくない影響を受けて、生活してきた。
それが「伝統」というものでしょう(物凄く広い意味で)。
しかし、おそらく日本の歴史上初めて、それを断絶させた世代が登場していたんですね。
「団塊の世代」です。

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「団塊の世代」とは、堺屋太一さんが命名した言葉。
戦後すぐのベビーブームに生まれた世代のこと。
色々な説明がなされていますが、この世代を語る上で避けられないのは、学園紛争でしょう。
学生が、国の暴走を止めようと、何年にも渡って闘いましたが、結果的にはご存知の通り、国に丸め込まれた。
このことが、この世代に大きく影響していると思います。
いわゆる「無力感」というヤツですね。

学園紛争で、自分達の思いを遂げられなくて、無力になろうが、別にどうでもいいんですけど、そのためか、この世代は、重大なことをできなくなったように思います。
それは「子供を叱る」ということ。

日経夕刊の特集記事で、シンクロナイズドスイミングの井村雅代コーチの人となりを、4日間に渡って取り上げていました。
その中で、彼女が語っていたことで象徴的だったのは、「最近の子供は叱られたことがない」ということ。

最初、おだやかに教えていると、自分のペースでだらだらやる。
今ひとつ煮え切らない態度を示す選手を、本気で叱りとばすと、目が覚めたようになるということでした。
シンクロの日本代表選手達の年齢は、20歳代(21歳から28歳)。
親御さんの年齢は、おそらく40代後半から50代の、団塊の世代なのではないでしょうか。

仲間と仲良くするのは結構だと思うのですが、最近は、親が必要以上に「子供と仲良くなろうとしすぎ」だと思っています。
「タメ口」とかね。
そしてその結果が、今の「渋谷」でしょう。

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団塊の世代は、その親の世代から受け継いだものを、自分の子供達に受け渡していないのではないでしょうか。

自分は、親に「束縛」されていたと思っていて、だから「自分の子供には、そんなことはしたくない」と思っている。
「子供はノビノビ育てたい」というバカげた呪縛ですね。
「ゆとり教育」なんてものにまでなってしまって。
また見直されるみたいですけどね。

自分は、人にあれこれ言われるのは嫌いだから、自分も他人に言わない。
仲間うちの話ならば、それでいいです。
でも、親子の関係はそうじゃない。
親は、子供に範を示すことで、自分も成長するはず。
それが親の「矜持」というものでしょう。

「明治生まれの頑固オヤジ」すべてが、子供より優れていたはずがありません。
中には、出藍の誉れもいたことでしょう。
でも、頑固オヤジ達は、そうやって子供に範を示すことで、自らの襟を正し、見栄だろうが、空威張りだろうが、守るべきことは守らせてきた。

ところが、団塊の世代からは、「自分のできないことは、子供にも押しつけない」となってしまった。
「自分以上に成長して欲しい」から、己の狭小な枠にはめ込んではいけないという発想です。
私がかつていた会社の上司には、このタイプが大勢いました。
自由放任主義にかこつけた無責任主義が。

自分の考えを押しつけることと、守らなければいけないことの線引きが出来なくなって、結局どっちもしなくなっている。
そんな感じなのではないでしょうか。

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常盤新平世代は、飲食店で「こんにちは」と呼びかけられることに抵抗感があるのでしょう。
ただ、その下の団塊の世代は、さほど感じないように思います。
おそらく、「そういうマニュアル」を作ったのも、団塊の世代だろうし。

そもそも、今の渋谷のようなバカな街を作り上げてしまったのは、間違いなく団塊の世代である親達に、相当な責任があると思っていますが、この現状(惨状?)を、常盤世代はどう思っているのでしょうねぇ。

そして、我々の世代は、そういう渋谷の現状を見て、「自分の子供をああいう風にしてはいけない」と、時代の流れにブレーキをかけようとする。
だから、少し揺り戻す時期が来るでしょう。

ただ、常盤氏は、「こんにちは」と叫ぶ店員にクレームをつけたらしいですが、私は面と向かって何か言った訳ではありません。
こんなコラムで、ごちゃごちゃ書いているだけです。
その点では、常盤新平世代よりも、叱るパワーが確実にない。
だいたい、「こんにちは」と店員に言われることも、「もういいか」みたいに流され始めているフシもある。
自分のことなんですけどね。

だから、その「揺り戻し」も、どこまで続くのやら。
結局のところ、我々の世代も、伝統を崩壊させている責任を、少なからず負っていることになりましょう。

そして、私の下の世代(30歳以下)には、もはや常盤新平は表れない。
団塊の世代に育てられた世代には、常盤新平は生まれません。
日本はどうなるのでしょうか。
時代は変わるものだけど、無責任を根拠として変わってはイカンですね。