キーワードがいくつかあります。
例えば「競争」、そして「呪縛」。
要するに、韓国・中国などのアジア企業群が、どんどん実力を高めてきたため、ソニーは価格競争に巻き込まれた。
いくらよい製品を作ろうとしても、アジア企業群の価格政策を無視した製品は許されない。
しかし、そんな泥仕合に参戦するだけでは、会社が疲弊するだけ。
その「呪縛」から逃れたかったのでしょう。
この部分の発想は間違っていません。
いわゆる「プレミアム価値」を持つ製品は、どんなマーケットでも、必ず一定の規模があります。
クルマでいえば、もはや大衆化してしまったベンツでも、ましてやポルシェでもなく、ベントレー。
日本でも、このご時世にベントレーを買う人はいます。
クオリアが、AV家電のベントレーを目指したのなら、それはそれでよい。
ただ、これらの製品を見て、「人の心に感動が生まれるか」といったら、絶対に生まれないでしょう。
ウォークマンが「50万円」だったら、我々は感動したと思いますか?
79年の発売当時、たった「3万3千円」で「歩きながら音楽が聴ける」ことに感動したから、世界的に売れたのではないですか?
「80万円のCDプレイヤーです」と言われても、我々は感動しません。
ただ、「感心」はするでしょう。
「へぇ〜、お金をかければ、こんなものが作れるんだ」という程度の、です。
---
ソニー自身も、クオリアが大量に売れるものとは、所詮考えていないでしょう。
元々「コスト度外視」ですから、利益を出そうとも思っていないはず。
では、どんな意味があるのか?
それは一にも二にも、自社内の技術力を再構築するためでしょう。
そして、このクオリアは、ソニーにとっての「F1(レース)」なのではないでしょうか?
いちおう消費者向けに販売する以上、それなりの価格をつけて販売をするけど、実は、そんなことはたいした意味を持っていない。
ソニーにとってのF1である以上、「最高の技術を見せつける」ことが重要なはずです。
そして、その最高の技術を見せつける相手は、消費者ではなく「競合他社」。
ソニーにしてみれば、国内外の競合が、「むむむ、さすがソニー、うちにはできない」とさえ思わせられればよい。
家電メーカーには、自動車メーカーの「F1」や「ラリー」のような、自社の最高技術をプレゼンテーションする場がない。
その「場」を、このクオリアに求めたのでしょう。
---
1年少し前、「
夢とそろばん」というタイトルで、日産ゴーンのことや、小泉首相のことを書きました。
(ちょうど100号の時です)
その時には、「ゴーンは、すべて一人で背負い込んでしまって、辛い」「ホンダの本田宗一郎・藤沢武夫コンビが理想」などと書いています。
ゴーンも、当時は「そろばん」ばかりで、一体どうなることかと思っていましたが、「フェアレディZ」を復活させたり、「横浜Fマリノス」を潰さないと明言したり、「夢」の部分もきちんと手をつけています。
(やはり一人で背負い込んでいますが…)
ソニーにも、かつては「井深・盛田」という最強コンビがいました。
一般に言われるように、このコンビも、「井深=夢」「盛田=そろばん」でいいのでしょう。
創業以来、この二人のバランスで、ソニーは世界的企業へと飛躍を遂げた。
ところが先日退任した大賀氏の言によれば、「今の取締役は文系ばかりで…」と嘆いておられたそう。
短絡的に考えてみれば、「文系」→「経営数字に強い」→「技術のことは理解できていない」ということなのでしょう。
事実、出井さんは早大政経学部出身、COOの安藤さんは東大経済学部出身ですから、芸大出身の大賀氏としては、「数字にしか強くない人」に思えてしょうがなかったのでは…。
その意味からも、今回のクオリアは、ソニーの「夢」の部分を追いかけるものと考えてよい。
そして、「そろばん」ばかり追いかけることに夢中だった自分たちを、少し反省する意味もあるはず。
自浄作用が働いただけ、ソニーもまだ健全です。
---
ただ、「愛着をもって末長く使ってもらえるような製品」という高篠副社長の談話は間違っています。
最初に書き出した製品の価格を、それぞれ桁を一つずつ減らしてみてください。