No.131
変わらずして変わる
2002.10.15
先週と、その少し前に、「うどん」を取り上げたからでもないのだろうが、うちの事務所に、「なか卯」の広告が入っていた。
チラシでも、DMでもなく、いわゆる「ポスティング」で。
今の事務所に入居して、4ヶ月ほどになるが、「なか卯」のポスティングは初めて。
弁当やピザなどの宅配業者のチラシは、ほぼ毎日どこかの業者のものが入っている。
しかしファーストフードチェーンは、近所に数あれど、ポスティングをしてきたのは、初めてだった。
マクドナルドやケンタッキーの広告は、折り込みチラシでよく入ってくる。
でも、私は事務所では新聞は購読していない。
(自宅で朝日・日経・MJを購読しているんだから、これ以上いらない)
だから、事務所周辺エリアの折り込みチラシに、どのようなものが入っているのか、よく分からない。
「なか卯」は、なぜ「ポスティング」をしたのか。
事務所近辺は、いわゆる「都市型」の典型。
居住用の住宅も多いけれど、基本的には「事務所」が中心。
そして住宅も、「豪邸」も数多く、「郊外型」のエリアよりも、チラシに反応する人が、どれだけいるのか、疑問だ。
それだったら、ポスティングしてもらう人に、「なか卯に来そうな人にだけポスティングする」と指示した方が、効率は良いだろう。
もちろん、「来そうな人」は、住居の外見から判断するしかないが、それでも闇雲に「渋谷区内」とだけしか指定できず、何万枚と無駄なチラシをばらまくよりは、効率的と思われる。
「なか卯」のこのようなポスティングは、長年やっているのかは、分からない。
ただ、売上をもっと伸ばそうという意欲があることは確かだ。
「新聞非購読世帯(事務所)」にとって、「FC見本市」の中で、少しだけシンパシーが高まった気がする。
何事も、動かなければ始まらないということか。
1.モーニングショット
アサヒ飲料が、缶コーヒー「ワンダ」の新製品、「モーニングショット」を発売した。
「朝専用の缶コーヒー」という、今までにありそうでなかった「シチュエーションによるポジション獲得」を狙ったものだ。
「ワンダ」も、コカ・コーラの「ジョージア」、サントリーの「ボス」、キリンの「ファイア」と戦ってきたけれど、ここにきて、かなり苦戦気味。
CMでは、タイガー・ウッズを長く起用していたけれど、相手が「飯島直子→吉本若手芸人」「永瀬&布袋→トヨエツ&あゆ」、そして「キムタク」じゃ、日本国内ではいかにも相手が悪いか。
「朝専用」という狙いは、間違っていないと思う。
これまでの缶コーヒーは、いかに「本物のコーヒーの味」に近づけるかに腐心してきた。
しかし、所詮缶コーヒーである。
だったら、シチュエーションで訴求した方が、消費者にとって斬新だし、他社に先駆けてそのポジションを獲得することは、マーケティング戦略として、全く問題はない。
問題なのは「パッケージ」である。
この「モーニングショット」は、ロゴなどのパッケージデザインが、現行の「ワンダ」とは異なる。
なぜこのようなことをしたのだろうか。
「ワンダ」は、昨年9月に、フルモデルチェンジをしている。
http://www.asahiinryo.co.jp/information/topics/pick_0122.html
上記のニュースリリースでも、パッケージについて、
「印象的な円型のマークの中央に「ワンダ」ロゴを大きく配し、その下部に"新豆挽きたて"と記載することで、「ワンダ」="新豆挽きたて"というコンセプトを分かりやすく訴求しています。また、「ワンダ」ロゴ上部の"COFFEE"マークの文字まわりで"新豆挽きたて"の豊かな風味を表現しています。」(アサヒ飲料ニュースリリースより)
としている。
このように語っていたパッケージを、「モーニングショット」では全く無視している。
それどころか、「モーニングショット」のニュースリリースでは、
「味わいの象徴であり、また、身近に感じられる色といわれている「赤」をベースとし、深いグラデーションをかけた配色と、商品コンセプトを表記した金文字やコーヒー豆を配することで、全体的にはシンプルでありながらも高級感のあるデザインに仕上げました。」(アサヒ飲料ニュースリリースより)
と自ら語っている。
http://www.asahiinryo.co.jp/information/topics/pick_0172.html
モーニングショットのロゴは、今のところ、これ専用のようで、既存品はそのままのデザインである。
だったら、既存品のデザインは、モーニングショットのデザインに比べると、「複雑」で「高級感がない」というのか。
個人的には、現行のワンダのデザインよりも、「モーニングショット」の方が好みである。
しかし、マーケティング戦略として、同一ブランド内に、「2つのデザイン」が並立するのは、好ましくない。
ブランドイメージが散漫になるからである。
なぜ、現行品のデザインを活かさなかったのか。
いや、変えるのだったら、なぜ思い切って、フルモデルチェンジをしなかったのか。
アサヒ飲料としては、おそらくこのような考えだったのではないか。
・「ワンダ」のフルモデルチェンジは、2年連続ではさすがにできない。
・しかし、販売は、何とかテコ入れしなければならない。
・だったら、新商品で新パッケージを試してみて、評判が良さそうだったら、徐々に他の商品もモーニングショットのパッケージに変更していく。
・仮に、ダメだったら、モーニングショットを引っ込めれば、傷も小さくて済む。
マーケティングの教科書としては、邪道と思われるだろう。
しかし、これが現実である。
予算を潤沢に使えるモデルチェンジなど、そうそうあるものではない。
限られた予算の中で、いかに効率よくモデルチェンジをして、競合に打ち勝つ。
商品開発の担当者は、二重三重の重荷を背負いながら、戦わなくてはならないのである。
2.水戸黄門とコカ・コーラ
水戸黄門が、また始まった。
石坂浩二が降板し、かつて助さん役だった里見浩太朗が黄門様に「格上げ」されての再登場である。
黄門様にしては、ちょっと「美形」すぎる感じだけど、これも時間が経てば、慣れるのだろうか。
そういえば、東野英治郎から、西村晃に変わったとき、相当違和感があったことを思い出した。
でも、いつしか慣れていた。
しかし、助さんと格さんに、彼らなりの「威厳」が感じられない。
少し軽い気がする。
でも、これも、俳優の成長とともに、いつかは慣れるものなのか。
石坂浩二の降板は、病気と手術だったことが要因だろうが、「史実に基づきすぎた」ことも降板理由の一つとされている。
「ヒゲなし」「印籠なし」「理知的」など、それまで4代に渡る(テレビ上での)「水戸黄門像」を「正しくしすぎたこと」が、視聴率低迷の要因となったためである。
実際に、石坂黄門の第2部からは、「ヒゲあり」で登場したことからも、その迷走ぶりが窺い知れるというものだ。
周りの「脇役」が変わることは、やむを得ない。
「黄門様」が交代することも、俳優自身が歳を取るのだから、もちろんやむを得ない。
しかし、「ヒゲ」や「印籠」が変わることは許せない。
水戸黄門という「ブランド」のコアベネフィットは、ここにあったわけである。
だから、視聴者が考える「水戸黄門」とは、もはや実在した「水戸黄門」なのではなく、TBSが長年に渡って作り上げてきた「水戸黄門」でよいのだろう。
ブランドが成長して、一人歩きをしてしまった典型といえる。
この日本の「水戸黄門事件」に当てはまるのが、マーケティングのケーススタディとして、もはや説明するまでもない米コカ・コーラ社の「ニューコーク事件」。
米コカ・コーラ社が、10年の研究期間を経て、400万ドルともいわれる膨大な予算をつぎ込んで開発し、消費者へのテイストテストでも競合ペプシに圧勝していた「ニューコーク」は、なぜわずか3ヶ月で生産中止になったのか。
世界有数のマーケティング会社である、コカ・コーラは、消費者の気持ちの、どこを読み違えたのか。
テイストテストで、ペプシより「おいしい」という評価を得たわけであるから、味覚という点では、ニューコークは問題はなかった。
自分の好きな商品が「よりおいしくなること」に、ユーザーが反対するとは思えない。
これが普通の考え方である。
ここで問題だったのは、コカ・コーラのユーザーにとって、「よりおいしくなる」の反対語は、「現行品がまずい」ではなかったことではないか。
現行品の味覚に不満を抱いているのであれば、「よりおいしくなる」ことは、もちろん歓迎すべきことのはず。
ただ、「コカ・コーラ」である。
世界中で1日に何億本も飲まれているような飲み物が、「ユーザーがまずいのを我慢して飲んでいる」などということはありえない。
おそらく、この頃のコカ・コーラの味覚に対する満足度が、経年変化で下がってきたのではないか。
ただ、それは「満足度の割合が低下する=不満が増加する」ということではなかった。
「とてもおいしい」という評価が下がったからといって、決して「味が落ちている」わけではないのである。
最初に使ったときの感動というものは、月日が経つにつれて、薄れていくもの。
ユーザーは、自分の好きな商品を、日常的に使用すればするほど、その商品について「何も考えなくなる」。
ただそれは、不満の醸成につながっているのではなく、そのユーザーの「日常生活の一部」になってしまっただけである。
「満足」の反対語は、「不満」とは限らないのである。
水戸黄門とコカ・コーラ。
どちらも、「ロングセラーブランド」といって差し支えないだろう。
それぞれが犯した過ちから、何を学べばよいのだろうか。
3.変えてはいけないもの
ころころパッケージを変えるような商品は、相当危ない状況といえる。
1回変えて、2回目も変えてダメだったら、3回目はもうないはずだ。
これは、飲料や食品だけではなく、「雑誌」なども、その典型だろう。
長年使ってきたロゴを安易に変えるような雑誌は、長くは続かない。
もちろんパッケージだけではない。
商品にとって、最も重要な「コンセプト」をころころ変えていては、営業担当者だって、説明がおぼつかなくなる。
ロングセラーブランドだからこそ、「変えてよいもの」と「変えてはいけないもの」の見極めが肝心である。
ホンダの「スーパーカブ」。
http://www.honda.co.jp/motor-lineup/supercub/color.html
デザインは、1958年の発売以来「変わっていない」と言うけれど、微妙には変わっている。
発売当時の写真を見ると、ハンドルが今のものより、やや「V字型」になっている。
でも「変わっていない」と感じる。
スーパーカブがロングセラーで居続けられるのは、「商用に徹した」ことが最大のポイントだろう。
「商用」は、「個人用」と違って、細かい好みに適応させる必要性が低い。
ただ、その反面、燃費という「経済性」で、他社より劣っていたら、ここまで長い間売れ続けないだろう。
「スーパーカブ」の「変えてはいけないもの」とは、何なのだろう?
デザインとしては、「白い泥はね除け」「しっかりしたシート」あたりか。
性能としては、何よりも「燃費の良さ」だろう。
カブが、「燃費」でなく、「馬力」を売り物にしていたら、一時的には売れるだろうが、そのうち飽きられてしまうだろう。
「デザイン」も、ちょっと考えれば「ダサい色」の象徴のような「くすんだ青色」「灰色」など、変えてしまいがちだ。
ラインナップとして、黄色のバージョンもあるようだが、「赤」や「青」など明るい色をメインにしたら、やっぱり飽きがくるのではないか。
カブの場合、「デザイン」にしても、「性能」にしても、これ以上「出過ぎないこと」が肝要な気がする。
商品だけでなく、テレビ業界などでも、変えてはいけないものはある。
プロ野球の「好プレー珍プレー」で、フジテレビが、みのもんた以外の人にアナウンスをさせた時があったけれど、見ていても全然面白くなかった。
最近は、どこの局でも、同じような番組をやっているけど、やっぱり全然面白くない。
フジテレビも、結局、みのもんたが必ずアナウンスするようになった。
私としては、「好プレー珍プレー」が見たいのではなく、「みのもんたがアナウンスする好プレー珍プレー」が好きなのだと思う。
「桃屋」は、三木のり平が亡くなった時、なぜ全く違う人ではなく、三木のり平の息子小林のり一氏に、CMの声を依頼したのか。
これは、「ルパン三世」の声優が、山田康雄が亡くなってから、クリカンに交代したことと同様の問題だろう。
「桃屋」も「ルパン」も、もはや「他人の声」であることは許されないはずだ。
業界としては、次に問題になるのは、「ドラえもん」か。
4.変え方とは
「変わらないこと」が良いことというのは、簡単だけど、売上が伸び悩んでいるのであれば、何らかの打開策を命じられるのは当然のことだ。
では、何を、どのように変えていけばよいのか。
それにはまず、その商品の「コアベネフィット」が何であるのかを、正確に把握しなくてはならない。
ところが、これが意外と難しい。
「水戸黄門」が誤ったように、面白い時代劇のコアベネフィットが「史実に正しいこと」とは限らない。
「コカ・コーラ」が誤ったように、(単なるコーラではなく)「コカ・コーラ」のコアベネフィットが、「もっとおいしいこと」とは限らない。
(※ヴァージンコーラのコアベネフィットが「もっとおいしいこと」であることは、あり得ることだ)
「不変=マンネリ」は、ユーザーベネフィットにもなりうるのである。
セオドア・レビットは、もう何十年も前に、「顧客が欲しがっているのは、穴を開けるドリルではなく、ドリルで開けられた穴である」と語っている。
商品開発に携わっている人間ほど、高性能のドリルを作り上げることに夢中になり、ついには「穴を開けること」が、ドリルにしかできないと考えてしまう。
これが、ユーザーベネフィットを誤る最大の要因だろう。
そして、「変化の度合い」は、そのマーケットの「成熟度」にもよると思う。
「コーラ」のように、マーケットが成熟しきっているのであれば、少しずつ変化することが望ましいはずだ。
仮に、味覚を変えるにしても、場合によっては、ユーザーにそれを告知することなく、少しずつ変えていくようなやり方も取らなくてはならない。
もしマーケットが、まだ混沌とした状況であれば、ユーザーのベネフィットポイントが定まっていないので、「革新的な変化」も、比較的受け入れられやすい。
携帯電話のマーケットにおいて、「写メール」でシェアを拡大している「Jフォン」は、これに当たるといえるだろう。
開発担当者は、どうしても「変える欲求」に駆られてしまう。
「変えないこと」が、「仕事をしていないこと」と、社内で評価されかねないためである。
そして、ロングセラーになればなるほど、社内からの「圧力」も半端ではない。
「安易な変化」は、ユーザーだけではなく、自社内からも許されないことなのである。
「変わらずして変わる」。
まるで、禅問答のようであるが、つまるところ、ロングセラーブランドのマーケティングとは、こういうものなのではないだろうか。
そして、そのためには、自社商品のコアベネフィットを見極め、マーケットの成熟度合いも見極め、「変えてはいけないポイント」を把握することが、何よりも重要なのだと思う。