No.128

こだわりと妥協
2002.9.24
by Y.Tomizawa

表参道にできた「ルイ・ヴィトン」。
平日の午後に行ってみたけれど、本当に「混んでいる」。
たぶん、ちょっとしたスーパーよりも、人は多いだろうという混み具合。
「客足が絶えない」とは、まさにこのことなのだろう。

表参道のLVに買い物に来る人たちの属性が、どのようなものであるのか、詳しくは分からないが、「高級ブランド」としてのLVは、すでに終わったような気もする。
「限定品があるから」「マスコミで取り上げられているから」、そんな理由でLVを買いに来る人たちこそ、まさに「バブル」なのではないか。

とはいえ、実際にインタビューすると、この手合いは、「前から欲しかった」とか、「一つくらい、いいものを持っていたい」と、さもありなんという回答をしたりする。

17世紀のオランダで起きた「チューリップ・バブル」以来、「バブルに踊らされる人たち」の、唯一の行動理由は、「みんなが○○を買っているから」。
つい10数年前に、取り憑かれたように、「マンション」や「一戸建て」、はては「リゾート物件」までも買い漁った日本人と、17世紀のオランダ人の行動原理は、基本的に変わらないだろう。


今、表参道を中心として起きている「LVバブル」。
そこに、LVが築き上げてきた「ブランド価値」を理解している人は少ないのではないか。

LV製の「トランク」の話を、どこかで読んだことがある。
昔、船が難破し、荷物もすべて流されてしまい、何日か過ぎた。
荷物が海岸などに漂着する中で、唯一LV製のトランクだけが、「中に水が全く入っていなかった」というお話。
そんな話が、いつの間にか広く伝わり、「ブランド価値の形成」へとなったはずだ。

「LVバブル」が、「ユニクロバブル」と同じように崩壊していくのか。
ある意味で、「似たような商材」を扱っているだけに、非常に興味深いものである。
ユニクロ流のビジネスモデルと、LV流のビジネスモデルの、どちらが強いのか、短期的・中期的に注目が必要だろう。




1.ライバルとの闘い


皆さんの人生に、「ライバル」と呼べる人はいるだろうか。
スポーツでは、よく「ライバル」ということ取り上げるが、普通の人生の中で、「ライバル」と呼べる人が現れることは、あまりないだろう。

しかし、ビジネス社会では、「ライバルだらけ」である。
「人」の敵は、さほどいなくても、「自社商品」のライバルは、それこそ数多いるはずである。

「クルマ」や「ビール」の「シェア争い」に代表される闘いは、時に「泥沼の闘い」ともなる。
しかし、今の「ホンダ・フィット」と「トヨタ・カローラ」、そして「アサヒビール」と「キリンビール」のような闘いは、実は「闘いやすい闘い」ともいえる。
「ライバル」の行動が、「基準」となるため、それに対して、どのような戦力で立ち向かうのか、どのような戦術で闘うのかを決めればよいからである。

もちろん、一企業としては、対外的に「消費者重視」ということを、声高に謳うだろうが、ビジネス社会はあくまでも「結果を出してナンボ」である。
ライバルを蹴落として、シェアを拡大し、売上も利益も拡大しなければ、意味がない。
「消費者に好かれるだけ」の商品は、企業にとって、足手まとい以外の何物でもないはずである。


ライバルと闘うときは、相手の弱点を見極め、そこを突く。
ビジネスで言えば、敵の商材の弱点を補った商品を出すことである。

ヤマハ発動機が電動アシスト自転車「パス」を出したとき、最初は自転車のあるところまで、電源ケーブルを引っ張ってこなくては、充電ができなかった。
まだ「充電池」が取り外せなかったためである。
そこへ、松下が「充電池を取り外せるタイプ」を発売して、売上を伸ばしてきた。

なかなか、一度で「完璧な商品」はなかなか作れないものである。
だからこそ、「敵の弱みを突く商品」は、意外と作りやすい。
開発費などの予算が合えばの話であるが、この闘いは、客観的に見れば、実はたやすいはずである。
もちろん、当事者は「それどころではない」と思うことも、これまた当たり前なのであるが。




2.一人勝ちの後


問題は、いざライバルを蹴落として、「一人勝ち」の状態になってからである。
本当の勝負は、ここからなのだろう。


「マクドナルド」「セブンイレブン」「ユニクロ」。
いずれも「勝ち組」の代表格であったはずだが、今はそれぞれ微妙な立場にいる。

マクドナルドは、「59円バーガー」の結果が吉と出たのか、凶と出たのか、今ひとつ不透明。
食材が海外からの輸入に頼らざるを得ないために、円相場が不安定な今は、なおさら足下がふらついているように見える。

セブンイレブンは、店舗数もさすがに頭打ちで、これからの拡大戦略にアタマを悩ましているように思える。
コンビニ業界は、来年度から実施される「酒類販売の自由化」が、ひとつのターニングポイントとなるだろうから、ここでの各社の戦略次第で、消費者への「見え方」が少し変わるかも知れない。

ユニクロは、「ユニセックス」のコンセプトを一部あきらめ、新宿に女性向け商品を強化した店舗を開店した。
単なる「女性向けファッション店」であれば、それこそ世の中に山ほどある。
そんな中で、どういうポジションを狙っていこうとしているのか。


かように、「一人勝ち後の闘い」は、かつてより遙かに難しくなってきている。
ITがますます進化し、情報が、あっという間に拡がってしまう今は、「潮の満ち引き」が早いためである。

ユニクロの衰退は、「衰退」なのではなく、ようやく「本来の地平線」に着地したと見るべきなのに、気が早いマスコミは、その考え方を許さない。
いくら「部屋着」とはいえ、たいして変わらないデザインのフリースが、2年間で3000万着以上も売れれば、「どこかおかしい」と考えるのが当たり前なのに。

誰でも、自分が担当する商品が爆発的に売れた時の計算をするのは、ラクである。
何より、計算していて楽しいだろうし、ワクワクするはずだ。
夢は広がるばかりなのだから。

しかし、「引き潮」の計算は、なかなかしにくいものである。
特に、会社が絶好調で、周囲が浮かれているさなかに、「バブルがはじけた時の試算」など会議に提出しても、誰も相手にしてくれないだろう。

誰しも「孤立」を好む人などいないというのが原則なら、そのような社内のムードに迎合して、「課題を先送り」するのも、またやむを得ないことなのか。
ただ、その「孤立」ができなかったのが、都市銀行や、旧大蔵省であると、国民を巻き込んだ重大な問題になるのだが。




3.職 人


バブルが去って、地面に足が着いていることに気付いた時、そこに何が残っているのかが問題である。

銀行とは、元々、「ファイナンス」をしてこその銀行のはずだ。
創業8年目の「本田技研工業」に、「三菱銀行京橋支店」の支店長は、なぜ2億円もの融資をしたのか。

多くの都銀は、「不動産」という担保にしか目をくれず、「人と事業を鑑定する能力」を、自ら放棄してきたために、その存在価値を問われるようになった。
「超高学歴集団」が、単なる「超無能集団」に成り下がっている。
都銀にもはや、第二の「三菱銀行京橋支店長」は現れないのか。


ユニクロは、そのビジネスモデルばかりがもてはやされたが、真の「実力」のカギは、中国に派遣された「職人」が持っているはずだ。
彼らが持つ「熟練した技術」を、「安く大量生産できる中国」に持ち込んだから、「意外と高品質」という信頼が生まれたはずである。

もし「職人」が、「ユニクロを次々に去っている」となれば、本当にユニクロは危機なのだろう。
しかし、そんな話はまだ聞かない。
ユニクロの技術を、「職人」が支えている限りは、十分復活の余地はあるはずだ。


バブルに踊らされても、そこに確固たる技術があるのなら、バブルが去っても、問題はない。
その「確固たる技術」を持っている者こそが、「職人」なのだろう。
では、「職人」とは、どのような人であるべきなのか。

ルイ・ヴィトンも、最初は普通の「カバン専門店」だった。
それが、前述のような「商品の確かさ」が、消費者に伝わることで、信頼を博し、「人気ブランド」となっていく。
創業時のLVで、カバンを作っていた人たちが、「海に落ちたら、カバンに水が入ってくるのは当然ですよ」と考えていたら、今、表参道にLVのビルはあったのだろうか。

来週のTBS系「情熱大陸」で取り上げられる予定の、岡野工業代表社員の岡野雅行氏。
東京の墨田区にある彼の会社は、「トイレ」が工場の外にあるらしい。
産業スパイが、トイレから忍び込んでくるからだそうである。
NASAからも問い合わせが来るような、彼の技術がなければ、今のように携帯電話が、薄く、かつ軽くなることもなかった。
「人がやらないことをやる」という彼の信念は、どれほどのものなのか。


結局のところ、どこまで「こだわり」があるのかではないだろうか。
ただ、この「こだわり」は、先週の「誇り」と同様、主観的な尺度では測ることはできない。
あくまでも、客観的に評価してもらってこその「こだわり」である。
他人に評価されない「こだわり」は、「妥協」にすぎない。




4.こだわる


今、「職人の技術を見直そう」と言われている。
職人の持つ技術を、ビジネス社会にうまく当てはめようということか。

キヤノンは、流れ作業による、いわゆる「ライン生産」を一部取りやめ、高度な技術を持った人が一人で完結して作る「セル生産」に切り替えた。
ダイハツの新車「Copen」は、限られた技術者がいる「エキスパートセンター」だけで作っているとのこと。
そのため、生産台数も限られてくる。


しかし、「職人」は、多くはいらないものだ。
そもそも、選りすぐられた技術を持つ人が「職人」なのだから、「一つの技術」に、「一人の職人」となってしまう。
だから、「大量生産」には、本来向いていないのである。

また、この不景気とITの進化によって、ビジネス社会では、ますます「効率」という言葉が重視される。
「職人」とは、全く正反対の世界の話である。


このコラムを読んでいただいている方は、デスクワークが中心の「内勤」の方が多いのだろうか。
デスクワークが多い仕事だと、「自分の技術」がどのくらいのレベルなのか、判断しにくい。
また、そもそも「自分が持つ技術とは、一体何だ?」という、根元的なことから疑問に思ってしまう。

でも、どんな仕事にだって、「こだわるポイント」はあるはずである。
いや、むしろ「こだわるポイントを見つける目」が大切というべきか。
この「こだわるポイント」を見出す力を持っていないと、絶対に「職人」にはなれないと思う。




5.妥協とのバランス


「徹底的にこだわる」ことから、すべての技術は始まる。

しかし、そんな「こだわっている時間」を、「ノンビリ考えている時間」と判断されかねないのが、昨今のビジネス社会である。
まったくもって「つまらない社会」に、日本は突き進んでいるように見える。


「自分の好きな仕事であれば、いくら徹夜してもかまわない」。
そう思われる方は多いはずだ。
自分が好きな仕事なら、たとえ休日出勤だろうが、深夜残業だろうが、そんなもの気にしないと思う。
漠然と過ごすプライベートな時間よりも、自分が成長できる時間の方が嬉しいに決まっている。
「最近、休日出勤ばかりでさ…」などと愚痴をこぼす輩は、そんな「忙しい自分」を、他人に「自慢」したいだけである。

しかし、「自分の好きな仕事だけ」を担当できている人が、世の中にどれだけいるというのか。
本当は、様々なことに、日々「妥協するしかない」のが現実というものだろう。


だから、「すべての仕事」について、「徹底的にこだわる」ことは、正直無理だと思う。
一つ一つの闘いの現場で「全勝」し、戦争に勝利した例など、過去の戦争を見ても、一つもないはずだ。
どこかで負けても、どこかで勝って、「総合的に勝つ」というのが戦争だろう。

あのアメリカの兵力をもってしても、最新鋭戦闘機は撃墜されているのである。
完投をしたい野球の投手で、初回から全力投球で投げ続ける馬鹿はいない。
「全力投球して全勝」という言葉は、実際のビジネス社会ならずとも、理想論にすぎない。


でも、その中で、たとえ「本意でない仕事」であっても、いくつかの仕事には「徹底的にこだわる」。
そういう風にしていかないと、いつまで経っても変わらないのも事実だろう。
「イヤな仕事」であっても、どこかに「こだわり」を見つけていかないと、「全敗」の人生になってしまう。

「こだわること」からすべては始まる。
そして、そのこだわりが、LV、そして岡野氏のような「伝説」の第一歩となるのだから。