No.127
誇り、そして品性
2002.9.17
「なか卯」がモスフード傘下から、ニチメンの傘下に入ることになった。
個人的には、結構好きなファーストフードだっただけに、「商社の色」がついてしまうことに、何となく不安を感じる。
私の事務所の近所にも、この「なか卯」はある。
ただ、三菱商事系の「まぐろ市場」、丸紅系の天丼の「てんや」と、通りを挟んで、極めて近い立地にある。
3社のどこが強いのか、ここにくれば一目瞭然の場所といえる。
実は、この明治通り沿いは、まるで「フランチャイズチェーン」の見本市である。
コーヒーショップも「ドトール」「プロント」「スタバ」「カフェヴェローチェ」と勢揃い。
「マクドナルド」はもちろんのこと、カレーショップの「ココイチ」、「ビピンパハウス」なんていうのもある。
「富士そば」は2軒あるし、牛丼も「松屋」と「神戸らんぷ亭」がある。
唯一「ない」のが、「吉野家」だけ(どうして?)。
そういえば、「吉野家」も何年か前に、経営に行き詰まって、セゾングループに買収された。
でも今や、セゾングループの超健康優良児なだけに、この先どうなるのか目が離せない。
創業して、経営に行き詰まらなくても、いやむしろ最近では、グループ全体の中で「優良企業」であればあるほど、「売却されるケース」が出てくる。
「不良企業」を引き取る余裕など、今やどこの企業にもないからである。
1.買収される側の心得
「ニチメン」による「なか卯」買収は、「なか卯がこれから大丈夫なのか?」というよりも、「ニチメンに外食ができるのか?」ということに、焦点が当たっているように思える。
商社がここのところ、外食事業をはじめ、コンビニなどの流通業にも進出しているが、「商社に現場の仕事ができるのか?」と言われている。
門外漢なうえに、「対消費者」と直接商売をしたことがないからである。
だが、はたして「○○みたいな仕事がお前にできるのか?」と問われて、できるかできないかを分けるのは、どういうことなのだろうか。
この問題は、「買収する側」の問題だけではない。
「買収される側」にも、「その心得」があるはずである。
はたして、何が必要なのだろうか?
先週の日経流通新聞(MJ)に、新潟を本拠とするホームセンターの「コメリ」という会社のことが、1面で取り上げられていた。
私は、この会社のことを全く知らなかったが、「15期連続増収増益」を達成しており、現時点で、店舗数全国で500店とのこと。
2007年度までに1000店を目指し、「ホームセンターのナショナルブランド」になりたいという野望を抱いている伸び盛りの企業である。
何よりも素晴らしいのが、一般には3%と言われるホームセンターの売上高経常利益率が、同社は「6.0%」。
この利益率の高さが、ここにきての急速な全国展開を後押ししているのだろう。
「コメリ」の躍進の詳細は、ここでは置くとして、このように伸びている会社だからこそ、M&Aの話が、多数舞い込んでくるらしい。
全国で、立ち行かなくなった流通業などの店舗の買収である。
なんでも、現在M&A案件として、その後オープンになったものは、「一度はすべて同社に来た話」というから、その市場での同社の人気ぶりが窺い知れるというものである。
その、「コメリ」の捧(ささげ)社長が、「M&Aの要件」として、以下のことをあげていた。
「お客様の要望に応えられる規模」
「立地条件」
「社員の質・品性」
前の2つは、少し考えれば、誰でも分かる。
「社員の質」というのも、何となく理解できる。
しかし、ここで捧社長が「品性」という言葉を使ったことに、私は感心した。
社員の質だけなく、「品性」もポイントとする、この感性に。
2.品 性
「品性」。
そういえば、最近はあまり使われなくなった言葉かも知れない。
街中には、男も女も、品の感じられない人間ばかりが闊歩している。
「品がない」というよりも、「品って何?」みたいな輩ばかりといった方が、適当か。
「品性」という言葉は、仕事で使う用語というよりも、「生活用語」とでも言うべきか。
いや、日常生活で使う言葉というよりも、親から子へ、子から孫へ、子々孫々伝えられるべき「行動規範」なのだろから、用語というのは適当でないかも知れない。
そんなものが、なぜ「働くとき」に必要なのか。
「品性」が必要だからといって「上品に働く人」ということではないことは、すぐに分かる。
「品性がある人」とは、ここでは「働き方に品がある人」という感じなのだろうか。
働き方に「品性」があるということは、担当する業務に、相当程度「精通」していなければできない。
「理解」というレベルではなく、「精通」というレベルだろう。
そして、そのような「高レベルの理解」があった上に、さらに「己がその業務に誇りを持っている」ことが必要なのではないか。
「誇り」を持っている人こそが、「品性」をも持ちうるのではないか。
一般に「品がある人」の話が出る時には、「上流階級」「名家」という言葉と合わせて用いられることが多い。
ただ、すべての金持ちに、「品がある」のではないことも自明だ。
いくら金持ちでも、己の生活信条に「誇り」を持っている人でないと、周囲から、そのようには思われないだろう。
そして何より大切なのは、「品がある」ということは、自分でいくら喧伝しても、認められるものではないことである。
あくまでも、周囲の人が、「そのように思う」ことがポイントなのである。
「周囲に認められた個人の誇り」こそが、「品性」なのだと考えられる。
3.誇 り
「コメリ」の捧社長が言った企業買収の観点の一つ、「社員の品性」は、何も「買収される側」にだけとどまる要素ではない。
当然のことながら、「買収する側」にそれが欠落していたら、「品性のある人」は逃げていくに決まっている。
買収する側の「それ」とは、もちろん「誇り」のことである。
特に門外漢が、新規事業に参入する際には、「誇り」を持ち合わせているかどうかが、極めて重要だろう。
「何でオレがうどん屋なぞやるんだ?」と、ニチメンから派遣された人が、少しでも思ったら、失敗への道を歩み出すことになるだろう。
その意味では、ローソンの新社長となる新浪(にいなみ)氏が、「出向」ではなく、「転籍」としたらしいが、これも彼流の「誇り」の表れなのではないか。
だから、私は今、セブンイレブンよりも、ローソンに注目している。
かなり卑近な話になるが、テレビ東京系で放映中の「愛の貧乏脱出大作戦」を見ていると、「ビンボー役」で出てくる人は、たいていは「自分の仕事に誇りを持っていない」と感じる。
「誇りを持っていない」からこそ、「ビンボー」なのだろうが、何も考えずに、まさに安易に店を出して(創業して)、失敗しているのである。
そして、彼らは「達人」に、単に料理がうまくなることを教わるのではなく、この「誇りを持つ」ことを、徹底的に叩き込まれている気がする。
料理が上手なことだけではダメで、「なぜ自分がおいしい料理を作るのかという意味」を理解させている感じがするのである。
そして、そこに「誇り」が生まれる。
もう一つ大切なことは、自分の仕事に「誇り」を持つことと、年齢にはあまり関係ないことである。
基本的には、年輩者の方が、品性や誇りを持っているケースが多いだろうが、それは「若いからダメ」ということを意味しない。
ラーメンのおいしい店で必ず出てくる「中村屋」(神奈川県大和市)の主人、中村栄利は、まだ25歳だ。
最初の店をオープンした時は、実に22歳。
しかも彼は、いわゆる「修業」すらしていない。
そんな彼の仕事に、来店する客が「誇り」を感じなかったら、あそこまで繁盛し続けるだろうか。
つまるところ、「門外漢が新規事業に参入すること」が失敗するケースが多いのではなく、「誇りの意味を知らない門外漢が、安易に新規事業に参入する」と、「ほとんど失敗する」のだろう。
4.伝 統
この「品性」や「誇り」という話は、企業買収や創業のような、大きな話にばかりあてはまるのでは、もちろんない。
アルバイトにだって、「品性」を求めていかないと、その企業は、早晩ダメになるだろう。
マクドナルドやTDSで働いている人々が優れている点は、どんな仕事をしている人でさえも、この「品性」や「誇り」を持って仕事をしていることなのではないか。
もちろん、全員がそうだとは思わない。
ただ、「あなたは今の仕事に誇りを持っていますか」と質問をすれば、「Yes」と回答する割合は、どこの企業よりも高いと思う。
このコラムの「No.124」で、スタバを取り上げたときに、「フレンドリーなバリスタが醸し出す雰囲気が、どこまで維持できるのかが課題」ということを書いた。
この「バリスタ」こそが、スタバの「誇りの象徴」なのではないか。
そして、今、「スタバのファン」となっている人は、そこに「品性」を感じ取っているような気がする。
いや、スタバやマックのような、上品に見える仕事だけではない。
ビル工事の現場作業員だって、ちゃんとやっている人は、自分の仕事に「誇り」を感じているだろう。
道路工事で、交通整理をしている警備員だって、「絶対に事故は起こさせない」と思っているのなら、それが彼らの「誇り」につながっているはずだ。
正直に言うと、かくいう私は、入社して最初にやった「仕事」には、「誇り」は全く持てなかった。
「なんでこんな仕事をやらされるの?」と、毎晩のように同僚とふてくされて、酔っぱらっていた。
不幸なことに、その時の上司は、その仕事の「意味」を、あまり説明してくれなかった。
説明していたのかも知れないけれど、少なくとも「納得」はできなかった。
仕事に誇りを持っていなかった。
そして、同僚が次々と辞め、入社後間もない自分の立場が相対的に「上」になっていく過程で、自分なりに「意味」を見つけたけれど、哀しいかな、それは「いつかは絶対役に立つ」と信じることだった。
ただ、その「仕事」は、私が異動になって、数年後なくなってしまった。
「誇り」は、自発的に持とうとしても、なかなか持てるものではない。
特に、日本のように、転職市場がさほど活発でない国は、就職してから「不本意な仕事」をさせられるケースも少なくないだろう。
そんなときに先輩が、「その仕事を遂行する誇り」を伝えられるかどうか。
社員が成長するかどうかの、ほぼすべては、ここにかかっていると思う。
「若いヤツがダメ」というケースは、「先輩が後輩に誇りを伝える役目を忘れている」というケースなのだと思う。
ここで重要なのは、「後輩が納得できる言葉・論理で伝える」ことであり、先輩本位のやり方で伝えようとするのは、いわゆる「体育会系」、そして「帝国陸軍」的な手法と同じである。
後輩が「納得できる言葉」で、その仕事の「誇り」を伝えられた時、それがその企業の「伝統」となっていくはずである。
そしてまた、それが「従業員の品性」となって、外部に伝わっていくはずだ。
「誇り」、そして「品性」。
言葉にすると、大げさなのかも知れないが、企業や組織が永らえていく上で、極めて重要なファクターであることは間違いない。