百日回峰行とは?


比叡山延暦寺の「千日回峰行」。ご存知だろうか。これに倣って、この「マーケティング百日回峰行」を行った。

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「千日回峰行」は、七年間にわたって、断続的に通算千日、比叡山の山道を歩き続きける荒行である。誰でもが成就できるような行ではなく、また、そもそも挑戦する人自体が少ない。なぜなら、途中で断念することは許されず、仮に断念するときは、自害しなくてはならないからである。
でもなぜ、「千日」なのだろうか。これが「五百日」でも、ましてや「三百日」でもない理由は何なのだろうか。

「月夜の千本ノック」は実話らしい。
かの、長嶋茂雄が、立教大学時代に、鬼監督として知られた砂押氏から、月夜になってまで、石灰でボールをまぶしてノックを千本続けられたとのことである。
長嶋茂雄は、千本ノックから何を得たのか。

その昔、明治大学野球部監督の島岡は、練習で投手に「千球投げろ」と命じていたらしい。
野球の投手が、一試合に投げる投球数は、多くても一五〇球程度。あの松坂でさえ、昨夏の対PL学園戦で投げたのは、二五〇球。
なぜ、「千球」なのか。

極真空手に、「百人組手」というものがある。
極真の世界大会で、優勝を狙えるほどの猛者が、一人と二分、途中一度の休憩をはさみながら、都合百人と順次戦っていく。延々三時間以上、百人と戦い続けるのである。
「寸止め」のない極真空手であるから、組手が終わると、ほぼ必ず「全身打撲」と同じ状態になり、病院に担ぎ込まれるらしい。
場合によっては、自らの生命にも関わるようなことに、なぜ挑戦するのか。

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ここでいう「千」とか、「百」という数字に、確かな根拠はないのだろう。
ただ、これが五百では、何となく意味がない気がするし、ましてや八〇なんていう数字では、何が目標なのか見えてこない。
おそらく、これらの苦行に立ち向かうことになったとき、そこに聳えるのは、ただ「とてつもなく遠い」という事実だけなのだろう。そう考えると、やはり、千とか百という数字には、何らかの意味があるのだろう。

この、「マーケティング百日回峰行」は、今年(平成十一年)の四月八日から、七月十六日まで行われた。一日一題、世の中の商品やサービス、そのときに起きたできごとなど、あらゆることを、マーケティングの視点から語り合ったものである。
ただ、前書きにもあるように、ここに書いてきた内容については、どこまでが正解で、どこからが不正解であるのかは、わからない。
じっくり考えて答えている日もあれば、時間に追われて、無理やりひねり出しただけの日もある。読んでいただければ、どの日があせっている日で、どの日が余裕がある日なのか、判ってしまうかもしれない。

やってみるとわかるが、このようなことを、毎日毎日、来る日も来る日も続けていると、「もっとじっくり考えなくては」というあせりと、「スケジュールに間に合わせなくては」という強迫観念が交互にやってきて、「考えること自体が苦痛」になってくる。本当に、われわれの日常業務と、何ら変わりないことに気づく。

言い訳がましいが、ここに書かれていることについて、その真偽を確かめるということには、あまり意味がないと考えている。
マーケティングに、なかなか正解が見つけられないように、もしかしたら、正解はどこにもないのかもしれない。これを読んでくれる一人一人が、何が正解なのかを考えてみることで、よしとしよう。

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よく言われることでもあるが、「苦行に喜びを見出す」とは、本当なのだろうか。
終わってみてからの感想を言えば、「苦しさ」と「喜び」は、てんびんにかけたり、どちらが先でどちらが後という順序がある問題ではないということだ。


この「マーケティング百日回峰行」、次に挑む人は、誰だろうか。



平成十一年九月
富澤 豊

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